2023年5月7日の説教要旨

2023年5月7日
第一主日礼拝
説教「栄光の神」
ヨハネの福音書11章38-44節

先週は、主イエスが死の力に憤りをおぼえ、ご自分の十字架と復活によって、私たちを解放する宣言をなさったことを聴きました。今日もこの宣言をさらに心に刻んでいただきましょう。

【再び心のうちに憤りを】

「イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。」(38a)とあります。こうして繰り返して主イエスの憤りが描かれていることに、主イエスの憤りの激しさが現れているようです。主イエスは死の力に憤っておられます。激しく、激しく憤っておられるのです。

【出て来なさい】

「その石を取りのけなさい。」(39a)とのイエスの言葉にマルタはたじろぎます。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」(39de)と。当然のことです。けれども主イエスは、たじろぎません。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」(40)とその言葉はなお力を増していきます。主イエスにあっては、ラザロの体が臭かろうが、朽ちていようが、骨になっていようが、そんなことはどうでもよいのです。子なる神である主イエスが父なる神に願い、ラザロをよみがえらせるのですから。

こうして洞穴の墓に主イエスの声が響き渡ります。「ラザロよ、出て来なさい。」(43b)と。その声には死に対する憤りに加えて、神の権威がこめられています。死の力はその権威に屈服します。主イエスが死をねじ伏せたのです。

次に起こったできごとには微笑みを禁じえません。なんともユーモラス。「すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。」(44ab)。ラザロがよみがえった喜びの情景です。

以前にも何度もお話ししたことですが、もう一度。宗教改革者ルターはこのようなデザインを自らの紋章としました。周りに「キリスト者の心臓は十字架の下に置かれるときに脈打つ」とあります。黒の十字架はキリストの死を、赤いハートは私たちのたましい。キリストの「出て来なさい」は単なる言葉だけの招きではありません。キリストの血をもっての招きです。キリストがご自分の全存在で私たちを招き、ご自分の全存在で私たちにいのちを与えて、生きるものとしてくださったのです。

【ほどいてやって】

墓から出て来たラザロに驚く仲間たちに主イエスは命じます。「ほどいてやって、帰らせなさい。」(44d)と。私たちはキリストのいのちを与えられたおたがい。けれども私たちにはなお、ほどかれなければならないものがあります。キリストの十字架と復活によって打ち砕かれたはずの罪と死の支配の「残りかす」のようなものがまとわりつくことがあるのです。恐れや妬みや敵意、それらが愛をさまたげるのです。だから主イエスはたがいにその「残りかす」を取り除き合うようにとおっしゃいます。

マザーテレサの言葉を紹介します。
大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、
それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。それでも許しなさい。
人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。

成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。それでも成功しなさい。
正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。それでも正直に誠実でいなさい。
歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。それでも作り続けなさい。
心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。それでも幸福でいなさい。
今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。それでも善い行いを続けなさい。
持っている一番良いものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。それでも一番良いものを分け与えなさい。

 こうして私たちは愛に成長することができるのです。聖餐に与ります。

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