2023年8月13日の説教要旨

2023年8月13日
第二主日礼拝
説教「うちにいる神」
ヨハネの福音書14章12-21節

新約聖書の至聖所である13章-17章。その中でもさらに至聖の箇所が今日の箇所。吐露される神のお心に聴き入りましょう。

【さらに大きなわざ】

「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」(12)は、私たちを驚かせます。この個所にかぎりません。いつも主イエスの言葉は私たちを驚かせ続けます。どんなに私たちが主イエスを知っても、主イエスはさらに大きいのです。それにしても私たちが主イエスよりも大きなわざを行うとは!「私たち」は教会。教会はこの世界でキリストのいのちを生きていきます。神との関係が破れ、人との関係が破れ、被造物との関係が破れた世界で。キリストのいのちによって、愛を回復され、世界の破れを回復させながら。もちろん、それもキリストが教会を通して行うわざです。けれども、主イエスはそれを私たちのわざと呼んでくださいます。主イエスと共に働く私たちを励ましてくださるのです。

【聖霊が降り積もり】

「わたしが父のもとに行くからです。」(12c)とあります。すると「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。」(13)と。私たちが主イエスの名によって求めることとは何でしょうか。もちろんそれは神さまをランプの精のように使うことではないではありません。神さまと共に世界の破れをつくろうこと、それが私たちの求め。主イエスはその求めをかなえてくださる。私たちと共に。私たちを用いて。そのために「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(16)と。

去年のクリスマスにごいっしょに歌ったワーシップは「HOPE(希望)」。あの歌に「私たちの上に聖霊が降り積もり」というサビがあります。この表現は聞きなれないうちは、不思議に思えていました。けれども何度も聞くうちに、深くうなずきました。聖霊は私たちのうちにおられます。けれども、私たちが聖霊に心を開いて、自分をゆだねるほどに、神さまのお心がわかります。神さまの愛が満ちてきます。雪がだんだん降り積もるように、聖霊がだんだん私たちをご自分のものにしてゆかれます。だんだん私たちのものとなってくださいます。十字架にご自分を与えた主イエスの思いを、私たちの思いとしてくださるのです。

【孤児とはしない神】

主イエスの愛はさらに激しく注がれます。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。」(18-19)。私たちのために十字架でいのちを捨てる主の愛は、そこで終わりません。終わるのにはあまりに私たちを愛しているから。死んでも復活し、昇天しても聖霊において私たちのところに帰ってこないではいられない愛です。

【私たちのうちにいる神】

「この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。」(17b)と「その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。」(20)は、まさに至聖所の中の至聖所。三位一体の神と私たちが、たがいがたがいの内にいるように、交差するように、ダンスを踊るように、愛し合っているのです。ここに主イエスが人となられた受肉の目的が、十字架と復活と昇天、そしてペンテコステの目的が、ありました。あまりのことに、私たちにはとらえきれず、表現しきれないのですが、そんなありえないことを、三位一体の神は望み、実現してくださったのでした。

「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」(21)を聴くとき、私たちのいのちは高鳴ります。三位一体の神に抱きしめられて、私たちも神を愛します。仲間を、世界を愛します。すでに今愛しています。こんなにも。高鳴るいのちを寄せ合って、聖餐にあずかります。

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