2023年12月24日の説教要旨 

2023年12月24日
クリスマス主日礼拝
説教「一つにする神」
ヨハネの福音書17章20-26節

クリスマスおめでとうございます。今から2千年と少し前に、神が人となってこの世界に来られました。とても信じられないことです。さらに信じられないことに、この神は十字架に架けられて殺されました。死んで三日後に復活したのは、はるかに私たちの理解を超えています。けれども、私たちが信じようが信じまいが、私たちが理解できようが、理解できまいが、これらのことは事実だと、教会は語り継いできました。私たちはこれらを、信じようとする意志によってでもなく、理解しようとする頭脳によってでもなく、それよりはるかに大きく、不思議な、心とたましいで受け入れるのです。

【十字架の前に】

 今日の箇所は最後の晩餐の後の、主イエスの祈りの最後の部分。十字架を前に「わたし(イエス)は、ただこの人々(弟子たち)のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々(教会、つまり私たち)のためにも、お願いします。」と。主イエスの最大の関心は、私たち。地上のご生涯の最後のときまで、主イエスは私たちを思い、私たちのために祈り、私のために、あなたのために十字架に架けられたのでした。

【一つにする神】

主イエスが私たちのために祈ったのは、「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。」(21abc)でした。二つのことが言われています。第一は、私たち、教会の仲間が一つに結ばれること。第二は、私たち、教会の仲間が三位一体の神のうちにいること。今年、しばしばみなさんにお見せした図をもう一度。父と子と聖霊の三位一体の神が愛のダンスを踊っています。救いとは何か。それは、このダンスに招き入れられ、神とともに踊り始めることです。

 悲しみ、困難、痛みのなかで、踊ることができずにしゃがみ込んでいた私たちを、神さまは立ち上がらせ、「さあ、踊ろう」と招いてくださいました。だから私たちの一致は、ただの仲良しではありません。気が合う者どうしのつきあいとはちがいます。三位一体の神の、永遠の愛の関係が、私たちの愛の一致の源であり、動力なのです。ですから、私たちがたがいに「一致しましょう」と語るなら、それは不十分な表現です。私たちは、もうすでに一致しているのです。神の愛の中で。

【一つになれない私たち】

けれども、現実を見るならば、私たちがいつも一つとは言えないことも事実です。そんな経験をするときに、私たちは「聖書なんかきれいごとだ、人間なんだから、うまくいかないことがあって、当たり前だ」と思ってしまうことがあると思います。しかし、三位一体の神に似せて造られた私たちです。そして私たちの一致は、子なる神イエス・キリストの十字架によるものであることを、軽く考えてはならないと思います。キリストの十字架は事実です。キリストが私たちをひとつにしてくださったことも。

ただ、私たちが味わってきたいろいろな痛みや傷のゆえに、まだ凍りついている部分があります。愛せない人がいたり、赦せないことがあったり、自分を守ろうとして愛に欠けた言葉や思いや行動が出てしまうことも。それでもキリストが与えてくださったいのちは、私たちの凍りついた愛を解かし続けています。日々、私たちの愛は回復し続けているのです。

【そして世界へ】

今日は明野キリスト教会でバプテスマが授けられます。受洗なさる方が数えてくださっていたのですが、129回の求道者会がもたれました。いろいろ話したようでも、結局は「ただ神さまが私たちをあわれんでくださった、一方的に恵んでくださった、それだけですね」と語り合ったことでした。ただあわれみゆえに、私たちを放っておくことができなくて、神が人となってこの世界へ。そして十字架へ。

 それはバプテスマを受けた後も、何もかわりません。クリスチャンになったから、何かをしなければ、とか、立派であらねば、と思わないでください。今までどおり、ただ神さまの胸の中で、神さまに暖められて、凍りついた愛が解かされるままに、あふれ出るままに。置かれた場所で、神を喜び、周りの人びととともに喜ぶこと。そんな私たちを通して世界は回復していきます。クリスマスおめでとうございます。バプテスマおめでとうございます。

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