2026年3月29日の説教要旨

2026年3月29日 
棕櫚の主日礼拝
説教「御国の主」
マタイの福音書6章10節

今日は棕櫚の主日。いよいよ受難週です。主イエスの十字架と復活の福音に今日も聴き入ります。

【み国を来たらせたまえ】

主の祈りの六つの願い求めの二つ目は「御国が来ますように」(10a)。いつも祈る主の祈りの言葉では「み国を来たらせたまえ」です。「み国」は神の国。神の支配を来たらせてください、と祈るように主イエスは教えてくださいました。

私たちが「み国を来たらせたまえ」と祈るのは、特に、自分が具体的な悩み悲しみをかかえているとき、また、自然災害や戦争などの世界の様ざまな問題に直面するときでしょう。しかし、それらの問題の解決を祈りながらも、どこか私たちは、「実際には難しいだろうな、遠い将来までは」と、そんなあきらめのような思いを抱いているのではないでしょうか。

けれども、神の国はすでに来ています。主イエスの十字架と復活によって。マタイ4章には「この時からイエスは宣教を開始し、『悔い改めなさい。天の御国(神の国)が近づいたから』と言われた。」(4:17)とあります。神の国は近づいた。手を伸ばせば届くところまで来た。主イエスがこの世界に来てくださったことによって。主イエスの降誕・十字架・復活によって。ですから私たちはもうすでに神の国に入れられています。つまり「み国を来たらせたまえ」は「すでにもたらされた神の国の中で私たちが生きることができるようにしてください。すでに神の国に生きていることを、私たちが心に刻んでいることができるようにしてください。」という祈りです。

【十字架によって】

すでに来ている神の国。すでに神の国に生きている私たち。それなのになぜ私たちは、まだ神の国が来ていないかのように感じてしまうのでしょうか。それは、私たちが「神の国が来れば、悩み悲しみや苦しみもすべて解決されて、喜びあふれる平和な世界が訪れるはず」だと思っているからでしょう。

けれども、神さまはこの世界を、今、ただちに、悩み悲しみや苦しみもすべて解決されて、喜びあふれる平和な世界にはなさいません。神の国、神の支配は、そのような支配ではないからです。神の支配は、主イエスによる支配。十字架の苦しみと死による支配です。主イエスは十字架で、私たちの罪とその原因とそのすべての結果・影響を引き受けてくださいました。そして「あなたには負うことができない、あなたを歪め、立てなくする重荷、罪を、わたしが引き受けた。罪とその原因と結果のすべてをわたしが引き受けた。だからあなたはまっすぐに立って、生きよ。わたしの愛によって、わたしの愛の中を、わたしと共に愛する者として生きよ!わたしと共に世界の愛の破れを繕うために生きよ!」と招いてくださっているのです。

キリストの支配は、苦しみつつ世界の苦しみを癒す支配。愛の支配。自分を与える支配。そんな支配であり、すでに私たちはそんな生き方を始めているのです。

先日、ふとAIに最近の大頭眞一の説教の特徴を訊ねてみました。AIをうのみにするのは危険ですので、上手に用いる必要があります。いくつかの特徴のうちの一つが「大頭眞一は、苦しみが、信仰の足りないせいとか、神の罰として語らない。苦しみは消えることよりも、苦しみの中で神と出会い、苦しみの中で神と共に生きることを強調する。そして苦しみをしばしばキリストの十字架に結び付ける。神がこの世界の私たちの苦しみの中に入り、苦しみつつ世界を回復させ、私たちも共に働くように招き、そして最後には世界の愛の支配を完成すると語る」でした。今日も同じことをお語りしました。みなさまに手渡しました。

【主語は神さま】

そうは言っても、と私たちは思います。苦しみながら神さまと共に働く、そんなことが私たちにできるだろうか、と。もちろん私たちにはできません。だから「み国を来たらせたまえ」なのです。アッバ、お父ちゃん、そんなこと私にはできません。アッバ、と神さまの胸でぐずるのです。私たちのアッバは、「そうだ。あなたにはできない。だから、わたしがそうさせてあげよう。あなたにいのちを注ぐことによって。あなたに愛を注ぐことによって。あなたではなく、わたしがそうしてあげよう」と、おっしゃっています。そして、ぎゅっと私たちを抱きしめてくださっています。

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